すーぎののリフィル

ちょっと長めに考えて置いておくところ。

ものさし=アンカー=哲学

このブログを始めてからずーっと、「深く考えることをしない」「あんまりものを考えてない」というようなことを言い続けてきましたが、どうやらそれはちょっと違うのかもしれない、と思い始めてきました。

 

 

人と何かについて話してみるとその中で、意外と自分の考えだったり、「こうしよう」と決めていることだったり、「それは違うぞ」と思うことだったり、結構見つかったりするのです。

なにか言われたらそれについてその場で考えて思ったこと浮かんだことを返しているようなイメージで人と話しているんだと思っていましたが(実際そういうこともたくさんあるのですが)、たまーに自分の中に割と硬いものがあり、その手応えや手触りを感じながら話している時があって、気づいてみると面白いです。

これは個人的に割と衝撃的なことでした。

なにしろなんにも中身がないと思ってたものを突っついてみたらたまにぽろっとなんか出るのです。

突っついているのはこの場合自分ではなくて話している相手ということになりますので、自分ではその時にしげしげと矯めたり眇めたり眺めたりできません。なんとももどかしい。

もし気づいたらちらっと頭に留めておいて、後で眺めたりしてみたいですね。

 

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ここ数日であったブレイクスルーでいうと、先週の記事

ちょっと意識してみると自分は、自分で思ってたより話している相手のことをよく見てて、自分で思ってたよりたくさん自分の発言で「今のは失言だったな…」って思ってて、他にも話が噛み合ってるのかとか、誰かが話から置いてかれてないかとか、おんなじシチュエーションで誰がどんな言い方でその場に対処するのかとか、意外と気にしてる。(あくまで自分で思ってたよりって話で、できてるかどうか、あってるのかどうかはわからないけれど)。

 

それに伴って思ったのは、自分の行動とか考えって、もしかしたら意外と深い根っこだったり硬い核だったりがあるものもあるのかもしれないということ。

もしかしたらね。

 

全然関係ない話かもしれないけれど、

記憶力がないということも前々から言っているけれど、「こんな事があったよね」って言われれば「あったね」って言えることがたくさんあるし、自分や誰かのツイートだったりを話題に応じて思い出して検索して見つけて引っ張ってきたりできるときもある。

 

それって、「情報のしまい方が下手」か「取り出し方が下手」か。

『情報が頭の中で散らかっていて、取り出しやすいようになってない』ということなんじゃなかろうか。

 

カテゴリや、軸になるキーワード、あるいは思い出すきっかけ。そういうものがしっかり張り巡らされた頭になれたら、記憶ももう少し繋がりが見られて、世界の見え方が変わって、行動の精度が上がったりするんじゃなかろうか。

 

なんてね。

一度、1,2時間考えただけの「自分がどんな人か」「どんなふうに話を進めたいか」というようなことがアンカーになっただけで見えることが結構変わったものだから、ちょっと楽しくなってしまったよね。

いろんな事例でこの感覚を得たいという気持ちになっている。ちょっとハイになっているのかもしれない。あんまりなんでもかんでも適用しようとしないようには気をつけていよう。

 

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……といいつつ似た事例を探してしまう。

哲学や美学というと大げさだけれど、座右の銘だったり、人から「口癖のようによく言っていた」って言われるたぐいのフレーズのように、キーワードみたいなものを拠り所にするっていうのもおんなじことなのかな、とか。

一種の「ものさし」として世界を見る確たる基準になるはずだよね、きっと。

自分、座右の銘、ないんだよなぁ……。これは結構前から持ってみたいなぁと思ってはいて、でも未だ「これだ!!」っていう物を定めることができていなくて、自分でも気になっていたところではあるので、ちょっと真面目に探してみようかな。

 

ちなみにTwitterの自己紹介に標榜しているフレーズは、「すーぎのはいやしのねがいを覚えたい。しかしすーぎのは一つのことを考えるので精一杯だ」です。

願いと現状と、徹しきれない感じとか、自分をよく表せていると思っていてわりと気に入っています。

でも最終的にこれを目指したいと思ってるわけではないんだよな。みんな楽しいのが一番だし、なんならお互い癒やし合うのが一番だと思うので。たぶんこれを書いたときは病んでたんだと思います。病んでるとこういうこと考えがち、すーぎの。

 

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閑話休題

 

誰のお父さんだったか、具体的な内容も忘れてしまったのだけれど、誰かのお父さんが、なにをするにも自分なりの理由を持って行動する人なんだという話を誰かから聞いて、そういう生き方憧れるなーと思った記憶が湧いて出たんですけど、文字にしてみると記憶がすっからかんで笑っちゃうな……ははは。でもたしか自分の求めるものを理由とともに習慣にすると、求めるものの再現性が高くなって人生が着実に幸福になっていくんだろうな、かっこいいな、みたいなことを漠然と思った気がする。言葉にできたじゃん。やったな自分。

 

料理とかきっとそれが如実に出るんだろうな。グラムを量ったり、具材の大きさや順番、火力、時間を計ったり、理由をつけることで思い出せるし、納得できるし、再現できれば再現できるほど自信がつく。

それが喋り方だったり、服の着こなしだったり、お風呂の入り方だったり、仕事の片付け方だったり、いろんなことに応用できるというわけだ。はーん。かっこいいね、それは。楽しそうだし、根っこの基準が定まってしまえば(アップデートも含めて)楽そうでもあるし、いいことずくめだ。すごいな、誰かのお父さん。誰なんだ一体。

 

 

とりあえず私もうまくいったときの記憶を並べてエッセンスを抽出していってみるか。

うまくいった時の記憶、うまくいった時の記憶……だめだ頭の中がとっ散らかってるから取り出せない!!!!

 

 

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先週と今週は、ブログでもエッセイでもないような、単なる頭の中の備忘録って感じになっちゃったけれど、自分にはとっても大事なことのような気がしている。

若干恥ずかしいような気持ちもあるが…、まぁでももともと頭の中のことを出力するために始めたんだし、やっと実になってきたのかなー、くらいに思っておこう。

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遅刻しました。

楽しみにしてくれている方、ごめんなさい。いつもありがとうございます。

せっかく曜日を決めて更新しているので、その曜日には間違いなくお届けできるようにしないといけませんね。

そのためには当日になってから慌てて書いてるようじゃだめなんでしょうけど……O(:3 )~ ('、3_ヽ)_

 

メモ:明日読む