すーぎののリフィル

ちょっと長めに考えて置いておくところ。

暗い話です。推敲なし見直しなし。

嫌いと思われた相手に、どう接しますか。

自分もその人を嫌って悪口を言うでしょうか。

嫌われた理由を探して直そうとするでしょうか。

それまでと全く変わらず接するでしょうか。

 

私は、なるべく距離を取ってしまいます。

接しなければいけないときにはなるべくいつもと同じに接しようと思いますが、たいてい無理です。

嫌われた分だけ嫌おうとは思わないのですが、嫌われつつ攻撃されつつ、他の人と同じように優しさや思いやりをもって接しようとは思えません。

 

Twitterならそれでいいのです。

嫌われたなら、リムーブしたりミュートしたりブロックしたりすればおしまいです。

あなたと私は考えが違って、いる場所が違う。それでTLは回ります。

友好関係も概ねそれでいいでしょう。共通の友人が印象操作や予定の兼ね合いでちょっと面倒になるかなってくらいでしょうか。友達が少ないのであまり縁がないのですが。

 

問題は、会社だと距離を取っておわりという訳にはいかないということです。

顔を合わせるし、共有もしなければいけないし、相談もしなければいけないし、お願いもしなければいけません。

そのすべてに「相手は私を嫌っているんだよな」「この話の間に何を思って何を口に出して何を飲み込んでるんだろう」「どんな対応をされるだろうどんな顔で反応すればいいだろう」という無駄な考えごとが蔓延します。

前に書いたように、嫌な事柄は遠ざける(あるいは自分を嫌う相手から遠ざけられる)という経験しかしてこなかったために、いざよくない感情と相(あい)対しなければならない場面でどういう対応をすればよいのか、わからないのです。

 

自分を嫌った理由を考えて、改善して、それを相手に認めてもらって、関係を修復する。この一連の流れをとることが、これを実行するモチベを同僚に対して感じることが、一般的な感情なのでしょうか。あるいは社会人としての責務なのでしょうか。

 

正直、やりたいとは思えません。モチベがありません。

 

きついのは、他の同僚も今は表に出てないくすぶっている"嫌い"があるのではないか、いつか限界を迎えてそれが発露してしまうのではないか=すなわち今は"嫌われてない"と思えている心の拠り所たるその人を、いつか"好かれる努力をするモチベが持てない相手"に認定してしまう時がくるのではないか、そういう恐怖がつきまとってくることです。まじむりです。

嫌いが発露している同僚が発露してない同僚とどんな話をしているのか、私がミスやコミュニケーションの失敗をするごとにどんな話が広がっているのか、そういうことに怯えなければいけないことです。まじむりです。

 

いっそそういうことを全く気にせず話せたら、もしくは全く気づかず生きれたらどんなに楽かと思いますが、それをされるのが我慢ならないために"嫌い"を伝えるのでしょうから、それは諦めないといけません。

 

それを考えるとやはり、嫌いを隠してくれている人のことは、今のうちに本当に大切に大切にしないといけないなと思えてきます。

 

いいこと思いついた!!

発露している人を見て自分の悪いところを探して、発露していない人のために改善していこう。

モチベと、気持ちの落としどころと、結果がみんなついてくる。

これという理由が自分で見つけられるのか、果たして直せるものなのか、わからないけれど、その先を考えるともう帰ってこれなくなりそうだから、今日はこれを落としどころとします。

 

長々とすみません。

お付き合いいただきありがとうございました。