すーぎののリフィル

ちょっと長めに考えて置いておくところ。

自己深刻

部屋が汚い……。

ここ最近部屋の床がとても散らかっていて、ギターを弾く気にも筋トレをする気にもなりません。 少しでも床を使う文化的なアクティビティが全て気持ちの上で封じられています。

主にカゴからあふれた洗濯後の衣類と、まとめるのをサボっていっぱいになってしまったゴミ箱から落ちた包み紙、共用スペースを片付けたときに部屋に持ち帰った乱雑な物たちによって散らかっており、部屋に帰ってきた瞬間にすべてのやる気をそがれ、部屋の真ん中に背を向けた机に座り、スプラトゥーンを少ししては寝る日々です。

 

ここで重要なのは、部屋が散らかっていることがとてもストレスでやる気を削がれていることを自覚しながら、あるいは自覚しているからこそ、「もういいやこのままでももうどうにでもなれ」という気持ちが生まれ、部屋をかたづけるという選択肢も頭にありながらそれをしない選択をし、部屋が汚く心も乱れているという状況を、改善どころか保持する方に行為(または不作為)がシフトしてしまうということです。

 

自分の悪い状況をストレスに感じ、そのストレスの理由を自分に帰属させ自分を罰しているつもりで自分に八つ当たりすることで発散し、その結果悪い状況が強化されていきます。出口はありません。

 

この流れはみんなにあるものなのでしょうか。いやたぶんないとは思うんですけど。

私は緩慢な自傷行為がくせになっているきらいがあるので、その一環なのかなと思ってしまいます。

冬に気持ちが落ち込んだときには外でぼーっとしてみたりするし、爪が汚くなることをわかっていながら爪を噛んだりむいたりする時期があったし(最近は爪はなるだけきれいにしたいと思っています)、舌やほっぺたを無意識に噛んでいたりするし(噛みしめるのでなくガムみたいにぐにぐに噛んでいる)、仕事で落ち込んだときはたばこを吸いたくなることがあります(秘密ですよ)。

 

 自傷行為としてくせになってもいないたばこを吸ってみたりするあたりがなんともメンヘラっぽいですがまぁその話はまたの機会にするとして(しない)、

「嫌なことがあったらそれを避けるために力を尽くす人」と「嫌なことがあったらとことんダメになって落ち込む人」との間には、どんな違いがあるのでしょう。

前者の人たちはどうやって、嫌なことに晒されている状態でそれを避けることに力を使えるのでしょう。 

今の「嫌」に浸ることなく、先の未来に希望を持って行動をおこせる人というのは、何を見ているのでしょう。

 

 

部屋から目をそらしてギターを弾いたり出かけてみたりしても、たぶんなんの気晴らしにもならないでしょう。たぶん、少しずつ片づけるしか前に進んでいく方法はありません。

それをわかっていながら、部屋の状況を見ると嫌になってゲームか寝るかになってしまうのがここ最近です。

自分の自傷癖との戦いということになるのでしょうか。「もういいよこのまま汚い部屋で死ねよ」という自分の声より大きな声で、「少しずつでも片付けるか…」というささやかな決意を叫んでいかないとこの状況は打破できないのでしょう。そんな矛盾の日々です。

おかしいのは無(もしくはマイナス)の状態から「毎日コツコツと」を始めるには「毎日コツコツと」に期待されるエネルギーの数倍のエネルギーが必要という事実です。なんでやねん。

なんとか早く巻き返そうとして休みの日なんかにガッとエネルギーを使って掃除をすると、その反動でそれ以降の平日で燃えカスになってしまうことはよくあると思います。実際共用スペースを片付けたことでしわ寄せが自室に及んで今死んでいるわけですし。 

そううつのそうのターンのときや、風邪の治りかけの人が、少し調子のいいときに「巻き返さなきゃ!」と焦ってパワーを使い果たしてぶり返すという構図はありがちではありますが、「少し調子のいいとき」にしかチャンスがないなら、それはやっぱりそこにすがってしまいますよね。  

何事も、少し先を見据えて長期的な配分を考えないといけないんだろうなとは思いつつ、調子の悪い時をストレスに感じれば感じるほど、なかなかそうもいきません……。

 

部屋が汚いことに関しては少しずつ片付ければいいはずです。できるできないは別にしてやることはわかっています。

では自分の仕事のできなさや人間関係のストレスはどうしたらいいのでしょう。

今までの内容から、何もしないことは自傷です。かといってできる方策が見つからないときもあるでしょう。

まぁでもやっぱりポイントは「少しずつコツコツとやる」ことなんでしょうね…

完全なる一発逆転たった一つで蒙きを啓く人生のマスターキーを探すのではなく、「ここをいじればあの扉が2mm開くかもしれない」みたいなことを手探り手探り、開いた2mmを閉じないように押さえつつ他のところをいじりにいくような、そういう気の長い試行錯誤が、たぶん必要なのでしょう。

鍵束で例えるべきか寄木細工で例えるべきかわからないですが、試行錯誤とその結果をしっかりとどこかに記録して、礎にしていくのは、骨が折れそうですね…。

まぁでもタバコ吸ったり手首切ったりするなら骨折ったって一緒ですよね。なんなら骨を折っていきましょう。

 

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あ、手首は切ってないです、念のため。

書き始めてから数日かけて、なんとかやっと着地点が見つかりました。よかった……。

ただ暗いことを連ねるだけでは人に見えるところに置く意味ないし、見てくれた人にも意味がないと思ったので、なんとかまとめてみました。

しかし、頭の中で漠然と考えるだけでは数日同じことを考えることはなかったと思うし、この着地点も明文化されなかったと思うと、とにかく、よかった……というところです。

 

タイトルは書きはじめの一番病んだときに決めたもので、一昔前の病んだボカロ曲っぽくて病みが伝わる感じが気に入っています。

誰もわからないと思うので先にいっておくと自己申告→自称→自傷までつながっています。