すーぎののリフィル

ちょっと長めに考えて置いておくところ。

筋トレ、あるいは女物の腕時計

 

私はすごい勢いで物事を忘れます。

特に自分自身に関することを。

昨日の夜何食べたんだっけな…とか

逆にこの前ハンバーグ食べたのはいつの夜だっけな…とか

100均で何かを買おうとしてたはずなんだけどなんだったかな…とか

この話はこの人にしたんだっけ…別の人だっけ…脳内でこんな話しよーって考えただけだっけな…とか。

 

あるいは朝、今日は仕事から帰ったらこれをやるぞ!という硬い決意を持って出かけたのに、いざ帰ってくるとその気持ちを忘れてダラダラしたり、

夜布団に入ったあとに、明日は絶対に布団に入る前に運動をするぞ!という硬い決意を持って眠ったのに、次の日の夜、気づくと布団に入っていたり、

今日は夜にラーメンを食べた上に夜中にポテトチップスを食べたから明日は絶対に質素なご飯にするぞ!という硬い決意を持って眠ったのに、翌日千切りキャベツを買いに入ったコンビニでポテトチップスを買ったりするのです。

 

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これにはちょっと原因の見立てがあって、

というのは、「その時見ているものしか見ていない」というものなんですけど。

 

つまり、ご飯を食べている時にはそのご飯がおいしいということしか考えてなくて、次のご飯の時にはこれから食べるご飯がおいしいかどうかしか考えていない。

夜寝る前には「ゲームばかりして運動しなかった自分」を見ているんですが、帰ってきたときにはその夜に確かにいた自分を全然見ていなくて、「その時ゲームがしたい自分」しか見ていない(あるいは目を逸らしている)。

なにか失敗した時には失敗した自分を見ているから落ち込むんですが、普段の自分は、自らがその自分と連続しているのだという意識が希薄で、「今を過ごしている自分」しか見ないで日々を過ごしている(そのうちに失敗を忘れて繰り返す)。

 

ここでいう"見ているもの"というのは「見たくて見ているもの」もあれば、「否応なく目に入ってしまうもの」だったり「どうしても気になってしまうもの」だったりすることもありますが、要は「その時に意識しているもの」ということです。

それが自分の意思や記憶に関わらず、その時々で大きく偏り、それ以外のものが頭からしめ出されてしまうということです。

 

ある時に確かに見ていたはずのものを、別の時には全く(全く)見ていないということです。

 

失敗した一つのことを今度は間違えないぞと意識をしていると、それ以外の(普段普通にできている)業務の確認がすっぱり抜け落ちたり、するんですよ、ええ。

まぁそれは愚痴なのでここではさておきますけれど。

 

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さて。

 

このブログはもともとそうやって物事を忘れがちな自分が、毎日なんにも考えずに生きていることを自覚して、その時々に考えていることを書きとめて、後で自分がその感覚を忘れてしまった時に見直して補充する(=refill)ために設置したものです。

 

開設してしばらくは前向きなことや後ろ向きなことをせっせと書いていましたが、いつしかやめてしまい、リフィルとしての機能や、忘れっぽい自分にはリフィルが必要なんだということも忘れてまただらっと過ごしてしまいました…。

そこで、それじゃいかん、またやろう!と思い立って一発目の記事がこちらというわけです。

 

今度は更新曜日を決めて、とはいえそんなに気張らず、なるべく続けていきたいと思っています(今度はいつこの気持ちを忘れるのか見ものですね(笑)(フラグ(なにわろてんねん)))。

 

コンスタントに続けることで、いつしか自分の中に連続したものとして存在してくれるように、いつでも参照して補充できるように、ないと落ち着かないものになるように、自分というのはこれだー!と言えるくらいに自分というものを書きとめていけるように、なったらいいなぁ。

というのが、今、自分が見たいものです。

 

よろしくお願いします。