すーぎののリフィル

ちょっと長めに考えて置いておくところ。

無職の知(は?)

知らないことをどうやって分かれって言うんだ!って叫んだの、誰だっけ…。

 

どうも、どうでもいいことだけ覚えていることに定評があるすーぎのです。

世の中、知らないことが多すぎます。

一人暮らしの仕方、プログラミングとは何か、綺麗な文字の書き方、"分数の割り算""係数""関数""複利計算""行列"について、体脂肪のこと、おいしいお店の探し方、仕事の探し方、原子番号45番の元素について、お金の貯め方、薬の選び方、宿の探し方、上司との付き合い方、タバコの味のこと、"考える方法"について。

 

世の中の事象は以下のように分類できます。

・知らないことに気づいていないこと

・知らないことに気づいているが調べ方がわからないもの

・知らないことに気づいているが調べていないもの

・知らないことに気づいているが調べたいと思えないもの

・知っていると思っているが実は全然わかっていないもの

・知っているもの

 

知ってるものと知らないものの割合のなんと理不尽なことか。

 

最近「調べ方がわからない」と「調べていない」が多いなぁということを認識して病みかけています。

 

"情報の集め方"を知らないのが一番厳しいハンデなのかもしれないなぁ。

ちょっと前にクイズと音ゲーに関してインプットとアウトプットとフィードバックの話をしたけれど、特定の分野においては、一番寄り添って上記3つをこなしてくれるのは、やっぱり人間なんじゃないかと思うんですよね。

 

というのも、自分の信頼する人のフィルターを通ってアウトプットされた情報には、それだけで耳を傾けるに足る価値があるし、自分の状況や理解を伝えたとき『それに合わせて』フィードバックを返してもらえるわけですからね。ゲームのフィードバックはあくまでゲームの方に合わせてプレイヤーが寄せていく過程というだけです。

 

誰かに何かを教えてもらうとき、「これは〇〇だよ」とか、「私はそういうときはこうしてるよ」というような、ただそれだけの短い言葉が、ただただ強い。

 

古くは私も人に何かを伝える側に回りたいと思って勉強したこともありますが、そもそも友達を作れない人間、言い換えれば信頼の置ける人から何かを教えてもらってすり合わせてすごい効率で人生をよりよくしたという経験があまりに乏しい人間にそれができたかといえば、まぁできないんだろうなぁ。よく落としてくれたよ試験官の人も。だてに校長してないな。

 

話を戻します。

「調べ方がわからない」について、(今気づいたんだけど)「調べ方がわからないと思うから調べていない」という分量がめっちゃ多いということに気づきました。救えねえ。要はすーぎのが「知らないことについて調べることが嫌い」だということですねこれは。救えねえ。

 

知らないことがあって、知りたいことがあったら、人に聞いて、教えてもらえれば最速なわけですよ。

たぶんそれで生きてきた。友達少ないからそれで得られない情報は切り捨てて置いてきた。

 

それじゃ駄目だべー必死こいて調べてなんでも手を出してもがくべきだべーという気持ちがこのたび何もしてない時間であるところの今、じわっと染み出してきているわけだ。なるほどな。

 

それをしたいと思えるものが見つかればいいんだけどなー。もうわからんから見つかるまで自転車で旅に出るか。寺の修復作業に参加して宮大工になりたくなるかもしれん。馬鹿か。

 

調べたいと思えるものを探したい。

どこにあるんだーー。

どうやって探せばいいんだーうおーーー

 

うおーーーーーー

という日、今日。

 

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"いわゆるペン回し"の技『ノーマル』をするとき、皆さんはどう始めていますか。

ノーマルはお尻の方を持って回し始める技ですが、ものを書くときはペン先の方を持っていますよね。

そうすると手の中でずらしてお尻側に持ち替えないと回し始められません。

また、回し終わるとまたペン先の方なので、また持ち直さないと回し始められません。

そこでおすすめなのが、「ペン先を人差し指と親指で挟んでお尻を手のひら側に振り出す」行為です。

するとペンが半回転して持っていた側がお尻側になります。

慣れると振り出した勢いでノーマルをして、さらにノーマルの勢いでまた振り出してを繰り返すことができます。

クリップの存在感が大きなペンではやりづらいですが、勉強中に手持ち無沙汰になったときなどにお試しください。