文系は理系の気持ちはわからない説。
花火、綺麗だね
でも…
悪い。本当は見えないんだ。なんか、でっかいやつが邪魔で。
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どうも、理系の話全然わからない芸人です。
いやほんと理数系科目に関しては、高校以降なにもわからないです。マジで。
…そう言いつつ何が中学で何が高校かもわかってないレベル。
中学の単元はルートがぎりぎりわかってないはず。もう計算できない。文字式と同じルールって言われても文字式もちゃんと覚えてないよもう。
あとルートが絡んだ計算の答えが2つあるときとないときの違いがわからないです。それもこれも「ひとよひとよにひとみごろ」を紹介するときに一緒に「−ひとよひとよにひとみごろ」を教えてくれないのが悪い。
後から前提条件を変えるんじゃねえよ。殺すぞ。
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理科と数学の悪いところは、「今まで便宜上〇〇と説明していたけど実は△△ですのでこれからは△△を前提とした上で話します。」というようなことが平気な顔でまかり通ることですよね。
「電流はプラスからマイナスに流れているとみなすけど実は電子がマイナスからプラスに流れていますのでそういうことでよろしく」って教師に言われたときはなにいってだこいつ…って感じでした。
あとこれも許してない↓
割り算という操作はわかるけど割り算という概念はよく分かってないから割り算(=分数)=比=商(=数値)=座標がいつの間にかすべて当たり前に同一のものにみなされてて死んだ。
— すーぎの🍶 (@ssigonigonigon) 2020年8月20日
分数の割り算を逆さまにする理由がどうのとか言ってる場合じゃないですよほんと。
分数てなに??分数は比であり約分は相似ですって誰か教えてくれた???なんなの????
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その点授業中の小話として未来の話をする教師は信頼がおけます。
中学の時すーぎのが「"過酸化水素水"って水の中で酸素と水素が余ってるのおかしくないですか?」って聞いたら「それは今説明するのは無理だから『OH』というものが出てくるまでとっといてくれ」って言った伊藤先生(仮名)のことは今でも覚えています。信頼。
(ただOHが出てくる頃にはもう理系を脱落していたので実はこの疑問は未だに解消されていません。なんてことだ。誰か教えてくれ。)
こういった「今の知識では説明できないので今のところはこういうふうに考えておいてください」という段階はどうしても必要だとは思います。すーぎのも実際に誰かになにかを教えるときは「いかに『今相手が持ってる情報で理解できる範囲』だけを伝えるか」に腐心するし。
それはわかる。わかるがだ。
「これはまだ世界のすべてを説明していません」
「将来的にまだこっから拡大解釈していきますのでそのつもりで」
「今までは〇〇だった。でもここからはきっぱり△△にする。というのは今やるこの単元のために必要なことで、この部分が今までと変わるから都合がいいんだ。ちなみに今まで見えていた根幹(エッセンス)の部分はこうで、それに対して今から説明するのはこう、つまりこの部分が今から必要でありこの単元で重要な部分なんだ。わかってくれ、すまん、ごめん、本当に申し訳ない」
という説明が圧倒的に足りてなさすぎるんだよ。教師に。理系の学問そのものに。奥が深すぎる上に拡大解釈の余地がありすぎるんだよ。宇宙かお前は。
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「このAっていう現象、これまではこういう解釈で考えるのが常識だったけど見方を変えると別の現象Bと共通点が見いだせるのでは…?そう考えて見直すとBに使っていた計算をAに応用することが可能になるのでは…??」的な『研究上のアプローチ』みたいな姿勢をいくつか見かけるにつけ、
今習ってる数学とかの操作ってどれも昔の学者が「6個あるりんごを2個食べるということを表現するには…」から始まって「頭の中にあるこの概念的操作がしたいんだけど今の数学じゃできないからそのためには数字の概念を改めて捉え直して……」とかそういう動機をもって研究したものを追ってるだけだから今の人間が表面だけなぞっても意味わかんないんだと思うんですよねぇ……。
だってたすきがけ思いつく人とか絶対変態でしょ。直接話したことないけど絶対変態ですよ。
なにがしたかったらたすきがけとか思いつくんだよ。別にしたくないよたすきがけ。
だからね、「この操作をできるようになることで対応できる場面が増える!嬉しい!」ていう気持ちがわからないと数学の勉強に身が入らないんです、たぶん。
この感覚はおそらく「この研究は何の役に立つんですか」って聞くような人や「こんなのやって将来なんの役に立つんだよ」と嘆いている文系勢にはなかなか得られないものなのかもしれません…。
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その点すーぎのがたまに見る教育系YouTuber、ヨビノリさん(予備校のノリで学ぶ「大学の数学・物理」)も、予備校というだけあって勉強の動機づけが徹底していて授業の中で頻繁に「嬉しい」とか「〇〇したいから」とかいった言葉が頻繁に出てきます。
全然異なったもの同士に共通点が見いだせることや、これ以上進めないと思われた壁が取り払えることとか、こんなに意味のわからない数式が最終的にこんなにシンプルな形に!?とか、そういうことに魅力を見いだせる人が理数系に向いているのかもしれませんね。
オイラーの等式とか相対性理論の方程式がすごいのは、「この世の心理を表すものが、全く異なるジャンルの要素を含んだ上でただひたすらにシンプルである」というのがとても大きそうですよね。
(大きそうですよねっていうか、それを語ってる動画を見たんですけど。)
この世をいかに数式にするかっていう挑戦を一生やってるんでしょうね、数学者。
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そういえばこの世には「バターを塗ったトーストがテーブルから落っこちる時の運動を表す数式」というものが存在するらしいんですよ。
「この数値はトーストが落ち始める高さを表していて、これがこの範囲にあると着地したときバターが下になります」とかを説明できる式。変態でしょ。
この人のチーム、これを数式にしたい!!って気持ちを強く持ち続けて数カ月トーストと一緒に生きてたんでしょ??変態でしょ。
文系なんかよりもよっぽど感情ベースで生きてるよ絶対。
理性で勉強して感情で生きてるのが文系で
感情で勉強して理性で生きてるのが理系なんじゃない?もしかして。