『ブラックサンデー』
今日はブラックコーヒーにしようかな。
そんなふうに思う朝がたまにある。
ふと早く目が覚めた日、焼いたお菓子がある日、飲みすぎた翌朝。いい日ばかりとはいかないのが残念だけれども、見方を変えればいい日ばかりではないからこそいつもと少し変えてみたくなるというのもあるのかもしれない。
いつもと少し違うから、いつもと少し違うことをしてみる。
いつも同じだから、いつもと少し違うことをしてみる。
そうして世界に少しずつちょっかいをかけて、反応を見る。
何も変わらないかもしれない。世界が少しずつ変わるかもしれないし、もしかしたら世界の方から僕にちょっかいをかけてくるかもしれない。
そういうやりとりを世界としている気分になって、顔を上げて世界の方を見ている実感を得るのが好きなんだ、僕は。
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「人生楽しそうだよね」
そう言う君はいつも楽しくなさそうだねぇ。
わかるよ、楽しそうなものに端から手を出してものにしてる人を見るときの気持ち。ずるいなぁって思っちゃうよね。なんでだろうね。それは間違いなく人生を楽しくしようとしていることで、間違いなく人生を楽しくできていることなのに、――自分ができたら素晴らしいことのはずなのに――どうして人がやっているのを見ると不安になってしまうんだろうね?
どうしてどこかで『自分はあの人とは違う』と思ってしまうんだろうね?
恥ずかしいことだと思っているんだろうか?周りの目が気になる?それとも自分の目が?
それでも君だって楽しくない方に行きたいわけではないんだろう?
ただ、今からやっきになってザルの目を一つずつ埋めるのがなんか嫌だって、それだけなんだろう?
僕だってボウルを持ってるわけじゃないんだぜ。持ってるザルのブラックコーヒーの目が埋まってるだけで。
でも、ブラックコーヒーの目が埋まってるだけだって、案外いい朝は得られるものさ。ほら。まだあったかいよ。
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「聞いてる?」
ごめん、全然聞いてない。昔から僕はこういうところがあってね。どうでもいいことが頭の中を駆け巡っているのさ。知ってるだろ。で、何の話だっけ?あぁ、またそれ。もういいじゃん。別れればいいんだよ。あいつにはもったいないって、そう思うだろ?じゃなんで言いにくいんだい。彼女が今しがみついてる幸せに遠慮してるのかい?それを自分が奪うことになるのが嫌だって?わかるよ、誰だって現状より悪くなるならそれは人間のせいじゃなくて世界のせいだって思いたいものさ。現状より悪くするなら、それは自分のせいじゃなくて他の人のせいだって思いたいものさ。そうだろう?違うかい?そうだろう。
でも僕は確信しているんだ。いつかは『せい』じゃなくて『おかげ』だって思われる、そういう種類のことがらがたしかにあること。『今はそれだ』って。
それならどうだい。『世界のおかげ』と『人のおかげ』、どっちの一部になるのがいいか、想像してごらんよ。僕なら別れろっていうね。自信を持って。それが彼女のためにも自分のためにもなる。だめかな?これは彼女のためにならないのだろうか?大切に思い幸せを願っていることが事実であっても?彼女のため”だけ”でないと彼女のためになることはしてあげられないのだろうか?
ならその子のことは世界に任せて、僕らはペンギンでも見に行くとしようか。ほら、出るよ。
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「かわいいね」
そうだね。ペンギンが歩いてる姿はとても不自由な感じがして愛おしいよね。水の中を泳ぐことに特化した体が陸で精一杯動くさま、なんと愛おしいことだろう。ひとたび水に入ればあんなにいきいきとして自由に飛び回って十秒のうちに何匹も餌を捕まえるんだ。すごいことじゃないか。人間は往々にしてそういう構造が好きだよね。普段は冴えない主人公が特定の場面や状況においてのみ驚異的な能力を発揮するような話が大好きなんだよね。すごい能力を持った誰かを見たらどこか欠けたかわいい部分を探して慈しむような、冴えない人を見ると普段見せない特技や表情を想像して、垣間見ては記憶にとどめておくような。あるいは想像しなかった能力を不意に見てしまって焦るような。焦りと安心の間にある淡いゆらぎを常に行ったり来たりするような、そういう愚かさがあるよね、人間には。こんなにも高度に発達した文化を持っていながらそういう愚かさを常に持って、どこかでは戦争して、ここではペンギンを愛でている。なんと愛おしいことだろう。そう思わないかい?もちろん君のことも大好きさ。ほら、次はアシカだよ。
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「人生楽しそうだよね」
珍しいね。いつも笑って言うことなんてないのに。どうしたんだい。
ほら、来ないのかい?
……そうかい。
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三題噺
「朝」「あいつにはもったいない」「淡い」
三題噺ったー! より