必ず別れは来るということ
ええ、そうですね。
知ってるしわかってることです。避けられないことです。
ただ私の場合はそれをあまり考えないようにして生きています。
毎日毎秒「これがこの人と話す最後かもしれない」「これがこの店に来る最後かもしれない」「これがこの世界を生きる最後かもしれない」なんて思いながら過ごしたくないから。絶対に嫌だし、なによりできない。
でも、それをしていないといざ別れの時「あれが最後だったのか」って、思うんですよね。「もっと〇〇しとけばよかったな」とか。それはそれでつらいんですけど。
私はフルーツバスケットという漫画が大好きなのですが、その主人公の透くんはお母さんが亡くなった日の朝「いってらっしゃい」が言えなかったことをずっと悔やんでいます。
透くんは毎日を丁寧に過ごして、過去を手一杯に持って、悔いの残らないように行動していて、とてもかっこいいんですが、私はそれをやったらつぶれてしまいそう。
毎日つぶれてしまいそうな心配を抱いて日々を丁寧に過ごして生きるのと、毎日を気楽に過ごしてたまの別れの日に後悔しながら生きるのと。
私には、後者のほうが性に合っている気がする。
継続的なストレスがあるとすぐ病むし、逆に突発的な病みならすぐに忘れてしまえるので。
たまに突発的に後悔して病んで、時間とともに薄れて忘れて。そういう生き方をしてきたし、多分これからもしていくんでしょう。
透くんはお母さんの命日に死ぬほど後悔をしてきっと生き方や毎日の意識は大きく変わったと思うけれど、私はいつ死ぬほど後悔をして変わるんだろう。変わるんだろうか??死ぬほど後悔をする前にどこかで変わったほうがいいんだろうか?
と思いつつ全部の事柄に全部の神経向けて毎秒お別れとまた会ったねをすることは…できないなぁ…と思ってしまう。
できることは、別れに際して寂しがったりするだけ。やってらんないねぇ。
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でも、別れを常に意識していなくたって、その時その時を丁寧に生きることはできるはずですよね。
今をよりよく生きようと思っていれば、仮にそこが終わりだったとしても、よりよく生きようとしていなかったときよりはいい状況のはずで。
「いつ別れても悔いの残らないように」生きるのは少しハードルが高く感じられるけれど、「今が楽しくなるように、次も楽しくなるように」生きるのは、なんとなくできそうな気がするんです。(まぁこれは結局言い方で、私が別れを意識しながら生きるのが嫌すぎて意地でも別れを見据えながら生きることはしないぞと思っていることの現れな気もしますが。でもやっぱり別れを念頭に置いて生きるのはなんだか悲しいし寂しいと、どうしても思ってしまう。とても誠実で丁寧な生き方だと思う気持ちもあるんだけどなぁ。)
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いまさらですがお別れというと「突然の別れ」の場合と「お別れをする場面」の場合とがありますね。
あらかじめ日にちがわかっているお別れのあいさつや儀式や、自分の気持ちの折り合いとしてお別れをする、そういうことができる場合はその時にいろいろぶつけたり精算したり積もるお話をしたりすればいいんだと思います。問題はそれが急に来たときですよね。
突然のお別れのなにが問題かって、たいていタイミングや別れる別れないの決定権が自分にないことなんですよね。
それが来たら、否応なく従わないといけない。「その時」に「別れる」ことは決まっていて、じゃあ自分ができることはといったら、結局「その時にどうお別れをするか」と「それまでに何をしてきたか」になってしまうと。行動は今のため、ひいてはその先の未来のために起こすものなのに、未来がない。過去は変わらない。
お別れをしたあとの未来と、それに進んでいく今しかない。
未来のことも今のことも考えるのが嫌になって、行き止まりになって、過去の自分を責めてしまうのかもしれません。
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私に限っていうと、過去とのつながりが希薄なので、過去にこんな事を言ってしまったとか、もっとこうすればよかったみたいな後悔は時間とともに忘れてしまって長く続きません。だから別れに際しての気持ちは後悔というよりただただ今(と未来)が寂しいなぁという感じになります。
とはいえじゃあそのおかげで別れを惜しまずに切り替えてずんずん歩いていけるかというとそういうわけではなくて、寂しい気持ちはあるし、過去とのつながりが希薄だということ自体も寂しいと思っているので、その人のことを思い出せることはなるべく多く残しておきたいと思っています。(今のTwitterの名前とかね。名前だからさすがにしばらくしたら直すけれど。でもヘッダーはなるべく変えないようにしたいな…、とかね)
そしてそれはずっと全部持っておくというわけではなくて、手放せるな、とか、手放したいな、とか、他に持ちたいものができたなとか、そういう時になったら静かにしめやかに、あるいは無自覚のうちにお別れをするのです。
うーん。
こうやって書いてみると、そのときどきで後悔したり自分の中で好き勝手に存在を持ち歩いたり自分のタイミングでお別れしたりするの、結構性に合っているというか、これはこれで自分の性質にマッチしているというか、割と納得しているのかもしれないな。
例えばずっと持ち続けたい人や、持ち続けてしまう人だったら、こういうわけにはいきませんよね。一つ一つの後悔がずっと自分の人生についてくる実感を持っている人は、今の行動一つ一つによって過去の後悔になってしまうかもしれない種を一つ一つ減らして、そうして未来の心配を一つ一つ減らしていかないと、それこそつぶれてしまうのでしょう。
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どちらのタイプにも間違いなく言えることかと思いますが、
一番しんどいのは、「お別れができない(できなかった)」場合ですよね。
未来はなくなる、今、なにもできなかった。あるのは過去だけ。となったら、それは、とてもとてもしんどいです。
それは、お別れを言うタイミングが突然訪れたのとはわけが違います。
お別れは、必ず来ます。
お別れを言う時が来たら、言えるのであれば、できれば、ちゃんと言いたいですね。
俯いたまま手を振るのもその時の精一杯なら仕方ないけれど、別れ際の顔は、きっと一番長く残るから。
せめて、今をよりよくしましょう。
それは、ーーその人のいない未来かもしれないけれどーーその人を胸に抱いていく未来を、よりよくすることです。
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「必ず別れは来るということ」 お題箱より。
半年前にもらっていたお題です…。ありがとうございます。
”必ず”としているのが、わかってるなぁって思いながら書きました。