すーぎののリフィル

ちょっと長めに考えて置いておくところ。

あけますとおめでとうございます

今日は1/8です。

今年のお正月は、特に誰と会うこともなく、誰かから年賀状が来るわけでもなく、いたってお正月感のないお正月でした。

強いて言えばおせちとお雑煮は食べたけれど、七草粥は忘れてて食べそこねました。

でも別に正月からこっち、そこまで塩や油や砂糖まみれの食事をしていたわけではないから、お腹を休める必要もそんなになくないか??と思います。どうせお粥じゃ足りないからお肉だのお塩だの香辛料だのプラスするし。

 

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実はふだん(お粥はもちろんのこと)白米を食べる習慣があんまりなくて、麺類だったり、あるいはおかずだけたくさん食べておしまいにしたりしてしまいがちです。

ご飯を食べようと思うときは卵をかけたりお茶漬けにしたりして食べています。

なんか体に悪そう。

もちろんお店で定食を頼めば白米を食べるのだけれど、今考えてみると「あ〜久しぶりだな〜やっぱりおいしいな〜」みたいな感想は大して感じてなくて、なんのありがたみもなく食べている感じがします。

さっき「普段白米食べないけど久々に食べたらおいしすぎて泣いた」っていう内容のツイートをしている人を見かけたばかりなのに、図らずも自分の白米へのありがたみの薄さに気づいてしまった……。

いや図ってはなくても無意識にどきっとしたからご飯のこと文字にしたときスッとこの考えにいたったのかなぁ。不思議だ。

次白米を食べるときまで覚えてられてるといいなぁ。

ちなみに今最初に「覚えてられてるといいけれど」と書いてから「覚えてられてるといいなぁ」に書きかえました。こういうの大事だからね。やっぱり。

 

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食事をはじめ、ちょっとした厚意とか、縁とか、なんというか、まとめて「こんなもの」っていうのが難しいのだけれど、そういうものを都度認識して感謝している人は素敵だなぁと思いますねぇ。自分がなんの感慨もなく享受しがちだから……。

あ、でも近所においしいとんかつ屋さんがあって、そこに食べに行くと毎回ちょっと姿勢が良くなります。そこにはたぶん未就学の頃から行っていて、しかも白米だったりお味噌汁だったりお豆腐だったりが素材からしておいしいので、敬意というか、ありがたみが感じられます。

 

でもさぁ!?!?自分の家で自分が適当に作った卵かけご飯とか冷凍豚肉と冷凍ピザチーズとキムチを混ぜたIQ底辺ご飯とかレトルトカレーとかにありがたみ感じるのはさぁ!!!!無理じゃない!?!?!??

 

それを自宅の普段のご飯で感じていくには、食材や調理器具や調理方法に神経を通した丁寧な暮らしをするしか……。

しかし最近のご飯に頓着しなさを考えると、今からそれを目指していくのは、ちょっと…いやかなり…億劫ですね……。

それこそ自分のためなんかにできませんわ、それは。誰かのために作るとかなったらまだしも。

親が動脈硬化気味の診断されて家族みんなでビビッたときには塩分について調べたりして、味噌とか調理の工夫とか仕入れては試してみてうまくいったり失敗したりしてましたが、最近は本人含めあんま気にしてないし、自分だけで継続するだけの動機は、ない!!!

 

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とはいえ、毎日適当におんなじものばっかり食べてるからこそ、たまの外食とか、珍しいものを買ってきて食べたりする時にはしっかり自覚して、おいしく楽しくいただきたいものですね。

……おせちもお雑煮も「正月気分を食べるもの」くらいの認識でしか食べてなかったなぁ!?!?思えばクリスマスのフライドチキンもおんなじような感じだった……。

次スーパー行った時まだ七草粥のもと売ってたら買ってきてお粥にしないで白米でありがたく食べてみようかな??

 

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カービィは食事に対してありがたみとか持ってるんですかね?

ていうか食欲(が満たされると嬉しい)という感覚自体あるのかあいつ??