すーぎののリフィル

ちょっと長めに考えて置いておくところ。

『田端さんの憂鬱』

小糸はみかんのことで困っていた。

 

みかんが送られてきたのだ。大量に。

箱を受け取ろうとしたら宅配便のお兄さんが「多分やめたほうがいいです」と言って家の中まで入ってきて置いてくれた。ちょっと怖かったけれど…親切、だったのかな…?などと思いながら箱に手をかけると、なぜか持ち上がらない。

 

「…みかん……10kg…?」

 

見間違いではない。伝票には母の丸い字で『みかん(10kg)』と記されている。わざわざ重さまで伝票に書くのが母らしいが、10kg?

いやいや、いくら真面目な母が伝票に『みかん(10kg)』と書いたとあっても中を見るまでそんなもの信じるわけにはいかない。中を見るまではみかんか死んだ猫かわからないって昔の偉い人も言っている。つまり伝票に『死んだ猫(10kg)』と書いてあるのと同じというわけだ。信じたくなさではいい勝負かもしれない。

ハサミを取りに行く時間で意識して呼吸を落ち着けて、改めて箱の前に立つ。

 

開ける。

 

中を見る。

 

……みかんだった。

近況報告と少しの心配の言葉が綴られた手紙の他は、箱の一番下までみかんだった。

 

「みかんだった……」

 

安堵しそうになったが、問題が確定しただけだ。解決はしていない。

手紙には『2箱だと安かったからうちの分と合わせて買いました。みんなで分けてね』とある。みんなって誰だろう。地元を離れて小さな会社に就職した小糸にはみかんをお裾分けするような友人も同期も思い当たらないし、まして恋人だっていない。

母は梅の花のようにかわいい字を書くわりに考えがまっすぐでさっぱりとしているので逆に掴みづらいところがあって、たまにこういうびっくりするようなことをしてのける。

少し前には突然タオルを爆買いしてきたと思ったらそれまで使っていたタオルを一枚残らず切って縫って雑巾にして近所の小学校に寄付していた。新しいタオルに囲まれた生活は幸せそのものだったが、なぜそんなことをしたのかは未だによくわからない。

そういう人だから小糸が都内に就職するために実家を離れることになっても「風邪には気をつけてね」くらいの反応だったのだが、あれがまさか伏線だったとは想像しなかった。こういうことがあるとまた母のことが好きになってしまう。

 

 

そうじゃない。小糸は困っているのだ。

小糸は元来そんなにみかんをたくさん食べる方ではない。

実家にいたときは常にみかんがストックしてあったので気が向いた時があれば食べていたけれど、今年は自分一人だしと買わずに過ごすつもりでいたくらいだ。

父と母は二人して手が黄色くなるんじゃないかというくらいよく食べるから感覚が麻痺しているのだろう。小糸が食べても食べなくてもみかんの減るスピードに大差がないことに気づいていないに違いない。

特に父は「煙草吸ってる分ビタミンCだよビタミンC」とか言って一日に5個も6個も食べていたから10kgなんてすぐだ。おととし肺を悪くして煙草をやめたから、結局みかんに効果があったのかなかったのかは定かでないけれど、去年は何も言わずに一日5,6個食べていたみたいだ。

小糸は煙草が昔から苦手だったので、煙草をやめて元気にしている父を見て二つの意味で安心していた。だいいち自分が小糸と名付けた『田端小糸』の前で煙草を吸うなんてデリカシーがなさすぎる。高校でいじられて以来ずっと父を呪っていたので父が禁煙を決意した時には心底応援したものだった。

小糸という名前はとても気に入ってはいるが、いかんせん『田端』という名字と相性が悪すぎる。小学校で男子から”バタコさん”とからかわれて嫌いになってからアンパンマンは今でも苦手だ。都内に引っ越してきてからも嫌な駅名を見かけてしまい、生涯を通して名前でいじられてきた小糸はあれがいつ話題に登るかと毎日ぼんやりと怯えている。

 

いけない。過去にとらわれていてはだめだ。今は目の前の問題に集中しよう。

一体いくつあるんだろう。100個くらいあるのだろうか。現実逃避を兼ねて一個一個取り出しながら数えてみたい衝動に駆られる。でも数え終わってしまったら待っているのは穴のあいた鍋みたいな虚無感と、数字という揺るがない現実だけだ。数えたところで絶対に事態は好転しない。

自分で食べる分は30個、多く見積もっても40個あれば十分だし、冷凍庫には10個くらいしか入らない。職場に持っていくにしても10個くらいが限界だし……。ジャムはめんどくさいだろうか……お酒に漬けるには容器が……あぁ……。

 

「10kg……」

 

数えることにした。

 

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三題噺

「蜜柑」「煙草」「離れる」

三題噺ったー! より